能登で生まれ育った私は、小さいころから都会にばかり目が向いていました。閉塞的で何もなくて、会うのも話すのもいつも限られた人ばかり。なんてつまらない場所なんだ、早く都会に出たい。私は刺激を求めて都会に進学、就職しました。
能登を離れて20年近く。結局、故郷に戻って来ました。理由は色々ありますが、大きなきっかけをくれたのはマスコミ関係で働いたことです。離れた場所から能登に通い、能登をたくさん取材するうちに、色んな人に会うたびに、灰色だと思っていた地元がキラキラして見えました。
Uターンして始めたのは、地元のおじちゃん・おばちゃんとの米作り。田んぼの中で聞く先輩方のお話は、都会で得てきた刺激より、私にとっては刺激的でユーモアに溢れていました。先人たちの苦労の話、知恵の話、何より先輩方を通して聞く「能登」は、とても鮮明で魅力的。私は情報誌にも文献にも載っていないその話を夢中で聞くようになりました。
「能登」の最大の魅力は、この地で生きる「人」だと思っています。新聞やテレビに取り上げられないけど、能登には宝を抱えた人たちがたくさんいます。能登をつくりあげてきたすべての先輩方に敬意を表して。一人でも多くの能登人の生き様を記していけたらと思います。
MAKIKO DOSHITA(サイトの中の人)

